
私は、仕事にもしていたくらい、コーヒーが好きです。
初めてコーヒーを「ちゃんと飲んだ」と思えたのは、高校生の頃でした。
夜な夜な、受験勉強のお供に部屋へ持っていく一杯。
その頃は、まだ母がいて。
夕飯のあと、母とふたりで小さなコーヒータイムをするのが大好きでした。
たぶん私にとってコーヒーは、
最初からただの飲み物ではなかったのだと思います。
母と向かい合って、少しだけ大人になったような気持ちで飲むもの。
一日の終わりに、ほっと息をつくためのもの。
誰かと同じ時間を分け合うためのもの。
そんな記憶の中に、コーヒーはありました。
コーヒーを仕事にしようと思ったきっかけは、母を亡くしたあとでした。
やっと就職した会社で、いろいろなことについていけなくなって、落ち込んでいた頃。
私は、大人気だと噂に聞いていたコーヒー店に入ってみました。
正直、少し斜に構えていたと思います。
そんなに人気だと言っても、
きっと大したことはないだろう。
そんなふうに思っていました。
でも、そのお店に入ってすぐ、私は少し圧倒されました。
大人気の秘密は、コーヒーそのものだけではありませんでした。
勤めているスタッフさんが、どの人も眩しかった。
座席の家具はふわふわで、高級感があって、
「ただの喫茶店の椅子」ではありませんでした。
照明もキラキラと輝いていたけれど、
今も心に残っている眩しさは、
コーヒーを手渡してくれたスタッフさんの、あの笑顔です。
今でも忘れられません。
気持ちがどん底だった私は、
その笑顔をまっすぐ受け取ることができなくて、
コーヒーを受け取るのを一瞬ためらいました。
席に座ることさえ、少し躊躇しました。
こんなに明るい場所に、
今の私は座っていいのだろうか。
そんな気持ちだったのだと思います。
ひと口飲んで、思いました。
「美味しい」
いつも飲むコーヒーより深煎りの豆が、
そのときの私の味覚に、まっすぐ届きました。
けれど同時に、苦々しくもありました。
私は、何をしているんだろう。
亡くした母に、ずっと誓っていたはずでした。
笑顔で生きる。
母が悲しむことはしない。
そう思っていたはずなのに。
職場では散々。
家に帰っても散々。
最近、笑ったっけ。
私、何が好きだったっけ。
そんなことを考えながら、私はそのコーヒーを飲みました。
苦くて、深くて、
でも不思議と、目が覚めるような味でした。
その日の体験は、私の意識を少し変えました。
あんなに素敵な笑顔で、コーヒーを手渡してくれる人がいる。
あんなふうに、誰かの日常に明るいものを渡せる人がいる。
私だってきっと、
笑顔になれる道があるのかもしれない。
そう思いました。
そのスタッフさんにとっては、何気ない一日だったと思います。
いつものように働いて、
いつものようにお客様にコーヒーを渡しただけかもしれません。
でも、20年近く経った今も、
私はその日のことを覚えています。
あの日の笑顔を、覚えています。
今日は母の日です。
母を亡くした痛みよりも、
今は、母と喋ってみたい気持ちのほうが強くなりました。
私も、母になりました。
娘に怒鳴ってしまう日もあります。
思うように笑えない日もあります。
それでも、あの日みたいに暗い顔のまま、
人生の端っこに座っている私ではなくなりました。
娘の、
「ママ大好き。一番好き!」
という言葉に支えられながら、
私は今、ちゃんと笑って生きています。
母と飲んだコーヒー。
母を亡くしたあと、私を少しだけ立ち上がらせてくれたコーヒー。
そして、母になった今の私が飲むコーヒー。
その全部が、私の中でつながっています。
居場所は変わらず、コーヒー店。
私の人生を変えてくれた、あのお店にて。
Cafe ginger⌘ginger